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メタっ娘

chapter1-2 嫌がらせでラスボス対決!

 強烈な腐敗臭に、芽以子は激しくむせ返りながら目を覚ました。

「な……なんなのこの臭い……?」

 目をこすりながら芽以子はゆっくりと状態を起こす──そして絶句する。

 目に映る光景は、一言でいえば月面だった。

 そう、写真などでしか見たことのないはずの光景。無機質な灰色の地面には、大小様々な石が散乱している。空は星すら見られない真っ暗闇で、絶え間なく稲光が疾り爆音が(とどろ)く。そんな暗黒の荒野が、地平線の彼方まで広がっていた。

 そうして何よりも、この腐敗臭。以前、父親がクサヤを家で焼いて大ひんしゅくを買い、自室にまでクサヤの臭いが入り込み、壁に掛けておいたブレザーの制服はもちろんのこと、あらゆる衣服がとんでもない異臭を発するという被害を被ったことがあり、そのあと父親とは一週間ほど口をきいてあげなかったわけだが、あの異臭を遙かに上回る腐敗臭だった。

 その証拠に、芽以子はすでに臭いを感じなくなっている。あまりの激臭に早くも嗅覚が麻痺していた。その代わり、喉の奥がヒリヒリと痛む。揮発性の劇薬でも散布しているかのようだった。

 明らかに体によくない環境だ。この黒い大地にいるだけで、芽以子の体は得体の知れない疫病に侵食されているかのような錯覚を覚える。芽以子は思わず身震いをして両腕を押さえた。夏のはずなのに真冬より寒い。

「……い……いったい……どういうこと……?」

 顔をしかめながら芽以子は周囲を見渡す。ピンク色のパジャマの袖をギュッと握りしめた。裸足なので、小さな砂利で埋め尽くされている地面では歩き回ることもできない。

 昨夜は、宿題を終えた後に自室のベッドで寝たはずだ。にもかかわらず、こんな人外の秘境で目覚めるなどあり得ない。可能性があるとしたら──そう、これはまだ夢の中。

「……ゆめ……?」

 芽以子は眉をひそめる。

 喉に小骨がひっかかったような不快感。いまさっき、とてもイヤな夢を見ていたはずだ。なにかこう、非常に気の触る人間としゃべっていた。そこにいた人物は──

 霧のかかった記憶を解き明かそうとしたとたん、突然大地が激震する。

「キャァ!」

 芽以子は、近場にあった大岩にしがみついた。巨大な地震だ。自分の足で立つこともできない。あまりの揺れに、芽以子は岩から手を滑らせて激震する地面に投げ出される。

 まるで袋叩きにあっているかのようだった。

 すさまじい縦揺れに、芽以子はバスケットボールのようにバウンドし、大地に叩きつけられる。

 船酔いのように目が回り、周囲の状況など把握するすべもない。唯一感じられるのは、鼓膜を破るかというほどの雷鳴の音。だがそれも、体の激しい痛みに耐えかねてすぐに聞こえなくなる。

 いや──聞こえないのでない。意識が遠のいているのだ。

「……あつっ!」

 突然、肌が焼けただれるかと思うほどの放射熱を浴びた。芽以子は尻餅をついたまま慌てて後ずさる。

 ピンク色のパジャマはすでに泥まみれになり、まるで灰をかぶったかのように顔も真っ黒になっていた。足の裏からは血が滲み、しかしそれでも、なんとか熱源から離れようと、芽以子は視界もままならないというのに必死に後退する。

 まったくもって説明ができない状況に理性はほとんど失われていた。混乱の極みの中で唯一考えられたのは、肌を焦がすほどの放射熱で死んでしまうかもしれないということ。まるで、キャンプファイヤーの直前に押し出されたかのようだった。

 芽以子は嗚咽をこぼし、熱源から少しでも離れようと何度も転びながら後退する。ようやく立ち上がり、いよいよ駆け出そうと大きく一歩を踏み出した。

 そのとたん、地面から突き出た小岩につまづいた。

「──!」

 本当に目から火花が出たと思った。芽以子はヘッドスライディングをするように転倒する。肘や膝のパジャマは破れて血がにじみ出てくるが、それよりも、右足を押さえて転げ回る。

「……あ……あ……あ……!」

 激しい吐息とうめき声をあげる。両手で押さえた右足の小指、その押さえた指の合間からドクドクと血があふれ出した。小指を中心に右足全体が尋常でないほど脈打っている。

 しかも強烈な放射熱は、動けなくなった芽以子の全身を襲い続ける。

 全身から吹き出した汗は瞬く間に蒸発し、喉はカラカラ。丹念に手入れしている長い黒髪は、おでこや首筋にべったり張り付いていた。

 足の指の何本かの爪は明らかに割れているだろうし、最悪骨折したかもしれない。

 逃げられなくなった芽以子は、顔だけ持ち上げるとその熱源のほうを向いた。そして片目を恐る恐る開く。

 真っ赤に燃えさかる巨大な何か。それこそが熱源の正体。

 この大地を揺るがす元凶。

 強烈な腐敗臭の根源。

 それは、遙か彼方に在るはずだった。新宿の高層ビル群よりも巨大な物体。芽以子がこれまで見てきたどんな建造物よりも、遙かに高く、遙かに大きい。

 そんなものが、大火事になっている。真っ赤に燃え上がっていた。

 火の粉が、全長三百メートルはあろうかというそれから大量に舞い落ちてきて、芽以子の黒髪をわずかに焼いている。

 それを起点に大地は何十本もの亀裂が走り、芽以子は幸運にもその亀裂に落ちることはなかったが──もしかしたら、落ちてしまったほうが幸運だったのかもしれない。

 明らかだった。

 それが、動いている。

「──りゅう」

 無意識に芽以子が発した言葉は、弱々しくかすれていた。

 それは超巨大な竜だった。

 大火に焼かれた巨大な竜。にもかかわらず──生きている。苦しくてうごめいているのではない。芽以子は直感的に理解する。

 竜は、歓喜しているのだ。

 芽以子が見上げるは竜の首。その八本の首が、一斉に芽以子を見定める。

 芽以子は、足の痛みも焼け付く放射熱も忘れて、ただただ八本の首を見上げるしかなかった。

 ──人間よ

「──!」

 脳にナイフを直接刺されたかのようだった。芽以子の悲鳴は音にすらならなかった。

 それは声なのか? 一言きいただけで強烈な頭痛を起こす、凶器のような声。誰の声なのかは明らかだ。目の前の、燃えさかる巨竜。それ以外に考えられない。

 恐慌と激痛のあまり、芽以子の瞳からボロボロと涙がこぼれ落ちる。体の震えが止まらず、下半身は一切の力が入らなかった。

 いったい何がどうなっているのか?

 いまさっきまで、自分の部屋で寝ていたはずだ。

 それなのに目覚めたら、こんな地獄のような場所にいる。

 あんな生物などいやしない。あんな巨大に、重力に逆らって成長などできないはずだ。高層ビルより大きな動物が存在するなどありえない。

 夢なのか?

 なのに、この全身の痛みはなんなのか?

 ──人間よ

「────ッ!」

 全身に電撃が走ったかのように芽以子の体全体が大きく跳ねた。

 ──なぜこの場にいる

 ほとんど失神しかけていた。

 ──人間よ、答えよ

 ほとんど無意識だった。

 ──答えよ

 無意識だからこそ。

 芽以子は恐怖も痛みも忘れて空を見上げていた。

 黒い大地に這いつくばりながら。

 対峙するだけでボロボロになる巨竜を、見上げて、口を開く。

「…………」

 しかし、放つ言葉など持ち合わせてはいなかった。どうしてこんなことになったのか、誰よりも知りたいのは芽以子自身なのだから。

 巨竜の熱により、周囲の空気は激しくうねりをあげている。耳元ではものすごい空気の摩擦音。顔面は火にあぶられているかのよう。目の水分はとっくに蒸発している。

 視界がぼやけてきた。視界の淵から、白く、霞がかかってくる。

 周囲のゴウという摩擦音も、次第に聞こえなくなってきた。頭の中は、まるで涼風でも吹き始めたかのようにスッキリとする。

 ああ、そうか。

 芽以子は、なんの根拠もなく確信した。

 そろそろ死ぬのかもね、わたし。

 何かの本で読んだことがある。人間、死ぬ直前は、苦痛と恐怖から逃れるために、脳内に、麻薬にも匹敵するホルモンが分泌されるそうだ。

 そうして人間は、死ぬための準備をする。

 だから、理性を越えてすべてがクリアーとなり、そうして残った本能が理解する。

 アレは魔王。お姫さまをさらって食べちゃうラスボス。

 ここはクライマックス。わたしはアレを倒すためにこの世界に召還された。

 ほんと、むちゃくちゃよね、アイツ。小説はまだ序盤も序盤、冒頭でしょう? なのにいきなりラスボスって何よ? これじゃあ勇者サマの成長も何もあったものじゃない。どこが冒険活劇だっていうのよ。バカみたい。三文芝居もいいところ。

 なのにわたしは死んじゃうんだ。

 だってココは、わたしにとっては現実だから

 なんなのコレ? あいつ何様? ほんとサイテー。どうせ現実の世界じゃ、誰からも相手にされない根暗なオタクなんでしょ。こうやって虚構の世界でカミサマぶってるのが関の山ってわけね。あーほんと、ご愁傷さま。

 こんな三文芝居なんてさっさと終わりにしましょう。付き合ってられないわ。

 カミサマにも曲げられない法則があるってことを、わたしが証明してあげる。

「魔王よ!」

 芽以子は立ち上がった。燃えさかる魔王に向かって、言葉を投げつけた。

「やってみろ!」

 魔王の、八つの双眼が細くなる。笑っていた。

「お前にわたしは倒せない! ウソだと思うなら、お前の全力でわたしを倒してみろ!」

 ──面白いことをいう人間だ よかろう

 いうが直後、八つの顎門(あぎと)が大きく開かれる。巨大な牙のその奥に、黒い光が貯まり始めた。

 それは死の一線。芽以子は断崖絶壁の切っ先に立っている。その絶壁の先には見えない床があるから大丈夫、だから一歩進んでみろといわれている。

 それでも芽以子はひるまない。

 ──ただの人間が 我がブレスをどう防ぐつもりだ 八度の咆吼で 世界を滅ぼす我がブレスを

「……何もしないわよ」

 脳を強烈に揺るがす魔王の声に顔をしかめながらも、芽以子は不敵に笑った。

「それでも、お前がわたしを倒すことはありえない。なぜならば──」

 芽以子は両方の拳を強く握りしめる。

 負けたくない──胸の中ではその一念で埋め尽くされる。

「なぜならば、わたしはカミサマに祝福された人間だから」

 ──戯れ言を

「やれるものならやってみなさい!」

 魔王の黒い光は突如膨張し、そして芽以子向かって放たれる。

 芽以子は奥歯をかみしめて、ギュッと目を瞑った。