タタン、タタンタタン──と、山手線が走る小刻みな音を感じる。
車窓から、黄色くなった午後の日差しがさ燦々と差し込み、冷房を控えめにしている車内はいくぶん暑さが残っていた。
いつの間にか始まっていた二学期、九月の第一週目。夏の暑さはとどまることを知らない。
タタン、タタンタタン──
芽以子は座席の端っこに座りながら、どこに視線を合わせることもなくぼうっとしている。
車内には、背広を片手に提げているサラリーマン、芽以子と同じ学生たち、老人もいれば主婦もいる。その半数は携帯電話をいじっていた。
そんな日常の光景を眺めていたら、気づけば山手線は二週目に入っていた。
芽以子は車内の壁に頭を預ける。
保健室に連れて行かれたあと、午前の授業の間はずっと寝ていた。
昼休みに目が覚めて、友達が見舞いに来た。もらった菓子パンとお茶を軽く流し込むと、芽以子はいったん帰ることにした。両親は仕事中ですぐ迎えにくることはできないので、二人が心配して付きそうといってきたが、大丈夫だからと断った。
なんとなく一人になりたかった。
本当は新宿で私鉄に乗り換えるのだが、ぼうっとしていたら通り過ぎてしまい、乗り換えるのも面倒だったので一周回ることにした。そしていま、芽以子の学校の最寄り駅である駒込駅を通り過ぎたところだった。
タタン、タタンタタン──
電車が止まるたびに、車内の空気がせわしなく動く。隣に座る人も何度も変わる。芽以子の前で、難しそうなことを話している大人たちの声が聞こえる。
どうしてだろう? この現実のほうがリアルを感じられない。談笑したり携帯電話を見つめたりしている彼らを、まるでガラス越しに眺めているようだった。
「ティアラ……」
誰にも聞こえない微かな声でそうつぶやく。
指先を見た。その指先で、そっと唇に触れた。
あれだけ感じた彼女の体温は、いま、どこにも感じられない。
彼女はいま、どうしているのだろう?
必死になって芽以子を捜しているだろうか。
これで、あの世界とのつながりはおしまいなのだろうか。
所詮は、陰険などこかの作者が作ったフィクションの中なのだから。
芽以子は、だるい体をおしてゆっくりと立ち上がる。
そう──あの世界は虚構の世界。本の中の世界。
であるならば──
『次は、新宿、新宿。お出口は左側です』
女性の車内放送が機械的に流れる。
(まだ終わりじゃない)
芽以子の瞳に力が戻る。
(わたしには、まだやることがある──!)
新宿についた。芽以子は電車から降りると、混み合うホームをかき分けて出口に向かう。階段を上り南口改札を出た。
線路を挟んで左右に巨大なビルが建っている。向かって右側は企業ビルやホテル、カフェテリアなどが並ぶ。運河のような線路網を挟んで左側には、巨大な商業施設が建っている。
その商業ビルには大型書店がある。雑誌やマンガ、参考書を買いに、学校帰りにちょくちょく行く書店だ。
その書店まで突っ走り、息も整えないままライトノベルコーナーの前に立つ。しかしそこで芽以子は絶句してしまう。
並ぶ文庫が多すぎる。
芽以子はスマートフォンを取り出したが、しかしどうやって調べるのか? ライトノベルのタイトルはもちろんのこと、作者の名前すらしらないのだ。これでは検索のしようがない。
(何か……何かキーワードは……そうだ!)
芽以子は、自分やティアラ、アガレットの名前を検索窓に入れた。作者の名前は分からずとも、登場人物の名前などは、何かしらの情報が載っているはずだ。芽以子は、検索結果を上から順にタップしていく。
芽以子の予測は当たった。作者サイトがヒットしたようだ。
作者名は──佐々木直也。
さらに芽以子は問い合わせページに気づく。
「……そうか」
自分が現実世界に帰って来たのなら、この作者も日本のどこかにいるはずだ。さすがに、サイトに住所は書かれていないだろうが──
──ネットを通して接触することはできる。
問い合わせ方法は、ソーシャルメディアのFacebookにログインしメッセージ機能を使えと書いてあったので、芽以子はFacebookにアクセスし、メッセージを開く。すると彼がオンラインであることが分かった。
つまりこの男は、いまこの瞬間に、Facebookを見ていることになる。
芽以子は、メッセージを入力していく。
──葛木芽以子です。分かってますよね?
返信は、すぐに来た。
まるで待ち構えていたかのように。
まったくもっていつもの調子で。
──やぁ、芽以子さん。ぼくとの接点がよくわかりましたね。たいしたものです。作中でも思ってましたが、けっこうお強いんですね、デジタル関係。
──相変わらず惚けてるのね。はぐらかさないで。小説を完結もさせずにわたしをこっちに帰して、いったいどういうつもりなの?
──いえ、別にそんな大それた目的はありませんよ? ファンタジーをちょっと書き飽きたというか、この辺でどーんと場面転換したかったというか。
──ティアラたちをどうするつもり?
──はっはっはっ。ネタを暴露したりしませんよー。ま、ぶっちゃけいま考え中ですが(^^;
芽以子はディスプレイを睨み付ける。この男とやりとりしていると、相変わらず嫌悪感をもよおす。ましてや、あんな残酷な描写を平気で書くようならなおさらだ。
彼がメッセージを送ってくる。
──それにしても不思議ですねぇ。
──何がよ。
──芽以子さん。あなたとはこれまで、ページ越しに話していたというのに、画面越しとはいえ、いまではこうして現実世界の中で、つまりは東京でやりとりしている。
──だから何?
──芽以子さん、違和感を覚えませんか?
──相変わらず回りくどいわね、いったいなんだというの?
──ねぇ、芽以子さん……
書き込みが止まる。芽以子はいらいらしながらスマートフォンを見入る。
なんとかして、不当に苦しめられているティアラやアガレットを助けてあげたい。しかし彼女たちはこの男の産物だ。そうである以上、この男自身をどうにかしなくてはならないのだが、いったいどうすれば……
だが、これ以上やりとりしてもなんら進展はなさそうだ。文字だけのやりとりとはいえ、どんな性格かはよくわかる。とても説得に応じるような人間ではない。
芽以子は無駄なやりとりはやめて、彼の書き込みを無視して一度帰宅し、それから対策を練ろうと思った。だが、芽以子がスマートフォンをしまおうとしたとき、まるでそれを見計らったかのように一行追加される。
──芽以子さん、あなた、本当に、ラノベの中に入れるなんて思っているんですか?
その一行を読み、芽以子は眉をひそめる。
「……どういうこと……?」
それと同時、書店全フロアに館内放送が流れる。
『えー、お客様にご連絡致します。ただいま、緊急避難命令が、日本政府により発令されました』
芽以子は目を丸くして天井スピーカーを見た。
「は!?」
『お客様は、速やかこのビルから退出頂きまして、あとは警察官の指示に従ってください。繰り返します。ただいま政府により、避難命令が発令されました──』
混雑していた大型書店がさらに騒然となる。出入り口のほうから「慌てないでください!」「押さないで!」という店員の大声が聞こえてくる。
芽以子はすぐに、ニュースサイトにアクセスする。トップページに、派手なキャッチコピーが踊っていた。
『東京湾に、正体不明の巨大建造物が出現──某国の最新兵器か』
ヘリコプターから撮った写真ではぼやけていてよく見えないが、何か巨大な、途方もなく巨大な影が映り込んでいる。
芽以子はアプリを動画に切り替える。
様々なチャンネルが緊急特番となっていて、プロキャスターから素人まで興奮ぎみに解説していた。
『ご覧ください。東京湾・湾岸から約一〇キロ付近に、巨大な建造物が見られます。本日午後三時未明、突如、東京湾中心部に巨大な建造物が出現──あ、はい。いま入ってきたニュースによると、政府は、東京・千葉・神奈川に避難指示を発令しました! 住民の皆さんは、所轄警察の指示に従って速やかに避難してください! 繰り返します、東京・千葉・神奈川に避難指示が発令されました!』
スマートフォンを握りしめ、芽以子は唖然として画面を見入る。
「ひなんって……」
所狭しと書籍が並べられ手狭な店内は、すでに怒号と悲鳴で満ちている。
「避難って、どこへよ……?」
芽以子は力なくつぶやいた。
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