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メタっ娘

chapter 5-3 最弱のヒロイン VS 最強の魔王!

 人類にとって、すべての好機は揃っていたはずだった。

 アガレット=ブランケットは、救国の大魔導士エイブラハムよりも実力が上だといわれた。勇者を降臨させる必要はないとまでも。

 この天才が放つ『天の火(アグニ・サルガ)』──それも術式の設計思想を遙かに超えた六〇〇倍もの火力を引き出した『重層(ドグナ)』が、こんな、ろうそくの灯火を吹き消すかのごとく無力化されるなどとは、誰ひとり考えていなかった。

 魔族に魅入られた人間・アガレット。

 魔族以上に魔術を使いこなせる人類の切り札。

 たとえ魔王相手だとしても引けは取らないと、誰もが信じていた。

 芽以子がつぶやく。

「……まおう……」

 芽以子はアガレットを抱きかかえ、上空前方を見上げていた。ティアラは回復術式を必死に錬成している。人の身では耐え難い術式を発動させ、傷ついてしまったアガレットのために。

 衛生兵はまだこない。たぶんこないのだろう。

 まだ復活前と思われていた魔王が目の前に現れ、アガレットが倒れたいま、背後の二三〇名の魔導士たちは、ある者は放心し、別の人間は逃げ出していた。それを怒鳴り散らす上官もいれば、ただ震えるばかりの魔導士もいる。

 そして魔王は、背後の魔導士部隊にも、倒れたアガレットにも見向きもしなかった。

 かの者がまっさきに見たのは芽以子だった。

「ほう」

 魔王がつぶやく。

「そうか、貴様、勇者だったのか」

 芽以子を覚えている。

 芽以子はがくがくと震える(あご)をなんとかこじ開けた。

「あんたは……ずいぶんと……スマートになったじゃない……」

 かつて八つの首を持つ巨竜だった魔王は、人の形をして空に浮かんでいた。人型とはいえ、身長は四メートル近くあるだろうか。軽く芽以子の倍はある。

 全身どす黒く、隆起した筋肉はまるで鎧のようだった。針金のような長髪は腰元まであり、金色に輝いている。一対の目は赤く、明らかに人の者とは違う。見ているだけで恐怖を搔き立てる鋭利な赤眼。

「我は、八つの首のうちの一つ。完全復活までにはまだ時間がかかるが──」

 まるで軽口を叩くかのようにいう魔王の分身。つまりは、魔王本来の力の八分の一だということだ。

「──人類を滅ぼすだけなら我ひとりで十分だ」

 口調は軽いのに、その赤眼はまるで笑っていない。

 芽以子を見下ろすと、魔王はいった。

「おまえを殺せばな」

 恐怖で、言葉が出てこない。指先の末端までも、痙攣(けいれん)したかのように震えて止まらない。心臓の脈動が耳元でうなり、毛穴は総立ちになり、皮膚という皮膚から冷汗が吹き出した。

 運動もしていないのに息が切れていた。酸素が足りなくなり、気が遠のく。

 だが、それでも、芽以子は魔王から目をそらさない。

 ここで目を逸らしたら、恐怖に取り込まれる。

 芽以子は、いま目の前の現実を見続けなければならない。

 そして見定めなければならない。

 現実が虚構に変わる瞬間を。

(ティアラは──ティアラたちは──)

 芽以子は思う。

(寂しいけれど、ティアラたちは虚構の住人。どんなにわたしを好きになってくれても、所詮はまぼろし。いつかわたしはこの世界から抜けて現実に帰り、ティアラたちは想像の中に消える)

「でも……」

 カラカラになった声で芽以子はつぶやく。

「それは……あんたも同じなのよ……魔王……」

 技もない、力もない芽以子が勇者と呼ばれる理由。

 自分を、世界を、ひとつ上の階層(メタ・レイヤー)から感じ取ることができる力。これこそが勇者と呼ばれる理由なのだから。

 だから恐怖に取り込まれるな。

 目の前に広がる現実がどんなに怖くても。

 恐怖に身がすくんでも。

 そんな情けない自分を丸ごと受け入れれば、きっと、愛おしいと思えるようになるから。

 そしてそこから、本当の現実が始まる。

 魔王が、左手を高々と突き上げた。

「このときをもって、長きにわたる魔族と人類の戦いは集結する」

 いまや、ウルパックの空は魔族で染まった。

「──魔族の勝利だ」

 魔王は、その左手を振り下ろす。

 上空の魔族が、王城へと、都へと一気に降下し始める。

 その瞬間。

 ティアラが突如立ち上がり、背後に輝ける方陣を展開させた。

 純白のドレスが光に浮かぶ。

「ティアラやめて!」

千の鉄線(ミル・フレア)!」

 ティアラの背後から幾千本もの鉄線が縦横無尽に繰り出される。

 魔王が(わら)ったのと、芽以子がその間に割って入ったのは同時。

 気づいたときには直撃だった。盾となった芽以子に、魔王のブレスが。

 芽以子の絶叫がこだまする。

 直撃を受け吹き飛んだ芽以子を、ティアラはいっとき呆然と見ていた。アガレットも血だらけの歯を食いしばって顔を上げる。

 ティアラの声がこぼれる。

「……め……めいこ……さま……?」

 魔族はついに空中庭園に攻め入り、魔導士隊と激突する。だが、ティアラにはそんな光景は一切目に入らなかった。

「芽以子さま!」

 ティアラは、魔王に背を向けて芽以子に駆け寄る。魔王はそれを傍観(ぼうかん)していた。

「芽以子さま!」

 ティアラは芽以子を抱え起こすと名前を連呼する。

 本当は。

 本当はこのまま寝てしまいたかった。

 そうすれば、明日になって、自分の部屋のベッドで起き上がって、イヤな夢見たなと思いながら朝の支度を始められるのではないかと思った。

 でも、ティアラの叫びがあまりに悲痛だったから。

 まだ夢の中であがかなくちゃダメだな、と思った。

「芽以子さま!」

 ゆっくり目を開けると、ティアラの涙がぽろぽろと降ってきた。体中の痛みが幾分和らいでいる。ティアラとアガレットの回復術式のおかげだろう。

 芽以子が重い口を開けた。

「……泣かないで……らしくないわよ……」

 芽以子は、頬を流れるティアラの涙を、指先でそっと拭いた。

 ティアラは芽以子を抱きしめる。耳元で、ごめんなさいと、嗚咽混じりの言葉を繰り返す。もうその言葉しかいえないティアラのブロンドを、芽以子は優しく撫でた。

「わたしは、だいじょうぶ……」

 徐々にはっきりとしてくる視界。聞こえてくる爆音と悲鳴。周囲を飛び回る魔族たち。

 芽以子は歯を食いしばる。

「……芽以子さま……」

 そして立ち上がる。震える指先をぎゅっと握りしめて、魔王を睨み付けた。

 魔王がいった。

「貴様、なぜ死なない」

「いってるでしょう。最初から」

 ティアラは泣き顔のまま芽以子を見上げていた。

 アガレットは痛みに顔をゆがませながらも立ち上がる。

 そして芽以子は──不敵に笑う。

「わたしが、カミサマに祝福された人間だから、って」

 魔王は無言で芽以子を見下ろす。

「ティアラ、アガレット」

 背後のふたりにいった。

「倒すわよ、魔王を」

「……え?」というティアラの声。

「どうやって?」というアガレットの疑念。

 芽以子は半身になって振り向くと、にやりと笑う。

「すっかり忘れてたけど、わたしってば、不死身なのよ」

 ──少なくとも魔王を倒すまではね、と芽以子は心の中だけで付け足した。

「ティアラとアガレット、そしてわたしの三人がいれば、魔王は倒せるわ。なぜなら──」

 芽以子は魔王に向かって叫ぶ。

「おまえは! 倒されるべきキャラだからよ!」

「ほざけ!」

 魔王の周囲に無数の光球が現れ三人に降り注ぐ。空中庭園に着弾と同時に、床が一気に瓦解する。

 幾ばくか回復したアガレットが必死に結界を張り、ティアラの浮遊術で落下を凌ぐ。

 まるで戦闘ヘリの機銃掃射だ。その魔王の攻撃に、王城の最頂部はみるみるうちに削り取られていく。

「ティアラ! アガレット! 念話を!」

 絶大な爆発音と飛び散る瓦礫で三人は散り散りになる。芽以子は空中で、泳いでいるかのように手足をじたばたさせながら通話器を取り出す。

「質問も反対もナシよ! ティアラ、わたしを(おとり)に使って! そしてなんとかして、魔王の皮膚に傷をつけて! ほんの少しでもいいから!」

 通話器からティアラの悲鳴じみた抗議が飛び出す。

『できません!』

「うるさい! 死なないっていってるでしょ! 従わなければ絶交よ!? 絶対に、絶対にためらったりしないで!」

 ティアラは沈黙。承諾したと芽以子は確信する。

「アガレットは水属性(ジャラ)の術式を準備! 魔王を水に浸すようなヤツを!」

『了解!』

 さすがは軍属のアガレット。この場において一切の疑念は挟まない。水属性(ジャラ)には攻撃術式などないというのにも関わらず。

 結界を展開させたまま、水属性(ジャラ)の詠唱を始める。

「ティアラ、やるよ──!」

 ドンッ──と。

 突然、体に何かがぶつかってくる。

 砕けた床の破片かと思ったそれは──ティアラ。

 空中で抱きついてきたティアラは、涙ぐんで訴える。

「ぜったいに、ぜったいに、いなくならないと誓ってください!」

 そのティアラに向かって、芽以子は優しく笑う。

「もちろんよ」

 そして唇を重ねた。

 ティアラが大きく目を見開いて、ほんの数秒。

「いくわよ──ティアラ!」

「は、はい!」

 魔王は倒されるべきならば、芽以子はすでに知っているはずだ。魔王を倒すその方法を。

 ずっと考えていた。

 この世界とは何か? 魔族とは何か? 魔力とは何か? 魔王を倒すための鍵はどこにあるのか?

 そして、初めて魔王の攻撃をその身に受けたとき、芽以子は気づいた。

 全身に走る痺れで分かったのだ。

 魔力とは、電力に模して考えられたのではない。

 電力そのものなのだと。

虚空の輪舞(ニュール・ロンド)!」

 ティアラの鉄線が広範囲できらめく。瓦礫を突き崩し、魔王の光弾をはじき、ティアラと芽以子は疾風となる。

「転送いきますわよ!」

「了解!」

常闇への回帰(ファシー・ヴィニー)!」

 この世界は、モニターの中に見立てられた。

 つまりはパソコンの中に見立てられた。

 パソコンが電力で動くように、この世界は魔力で動く。パソコンの中では自由自在。電力で、文字を書いたり絵を描いたり、音楽も聴ければ動画も見られる。インターネットを介してほかのコンピューターにもつながる。コンピューターの言葉を介して何でもできる。

 そう──学校の授業で教わったことがある、ホームページの作り方。

 ホームページは、HTMLとCSSという二つの言語で作るという。あんなアルファベットの羅列が、どうして綺麗なホームページになるのか芽以子はよく理解できなかったが、とにかく二つの言語で作れば、文字が赤くなり、画像を表示できて、それが積み重なって綺麗なホームページになるということは分かった。いまやどんなものでも生み出せる。モニターの中であれば。

 魔導術はこれと同じ。呪文と方陣という二つの術式を組み合わせることで、モニターの中たるこの世界に、炎を生み出すことができる。この世界の中であれば、水でも風でもどんなものでも生み出すことができる。電力たる魔力を使って。

 ならば、魔力の中から生まれた魔族とは一体何か?

 魔族とはバグだ。人が錬成した術式のバグの欠片。それが何百年と堆積して魔王は生まれる。

 しかも実体を伴っている。それは壊れかけの──

「──!」

 芽以子が思索から戻ってきたとき、単身、魔王の眼前にいた。

「ハ、ハァイ?」

 芽以子の引きつった顔は無視されて、魔王の巨大な手のひらが芽以子の頭部を鷲づかみにしようとする、その直前、ドンッと鈍い音がした。

 下を見る。魔王の腹部から、何本かの鉄線が生えている。

 背後から、ティアラの鉄線が魔王を貫いた。

 しかし魔王は、つまらなそうにいう。

「これで我を倒せるつもりか?」

 掛け合わず、芽以子は通話器に向かって叫ぶ。

「いま! アガレット──!」

水泡の砦(パニ・キラー)!』

 梅雨の匂いがした。

 芽以子は突然雨に囲まれる。膨大な水滴が突如空間に出現し、芽以子とティアラ、そして魔王をずぶ濡れにする。

 魔王は──かの魔王が、絶叫をあげる。

 その断末魔の叫びに、空中庭園で戦っていた人類と魔族すべてが魔王を注視する。

 無数の雨粒は、一気に魔王に集まると巨大な水泡となって魔王を包む。ティアラが穿(うが)った腹の穴から無数の火花が散り、それが魔王を(むしば)んでいく。

 ティアラが、芽以子の隣に戻ってくる。ずぶ濡れの髪をかき上げることもなく、呆然と魔王を見ていた。

「……どうして……?」

「くだらない、理由よ」

 激しい動悸に肩で息をしながら、芽以子はいった。

「壊れかけの、電化製品は、水に濡れればおしまい、ってことよ」

 もしも、魔族が純粋なバグとして人類と敵対していたのなら芽以子には手が出せなかっただろう。

 だが、そんなことはあり得ない。なぜならば──

 ──バグを取り除く知識など芽以子は持ち合わせていないのだから。

 だから魔族は、実体を伴わざるを得なかった。魔族とは、倒されるべきキャラなのだから。

 そうして実体を伴っているのなら、話は簡単だ。

 防水加工を施された表面に傷をつけて、浸水させればいい。

 それだけで、魔族はショートし、自滅する。

 アガレットがふたりに追いついた。芽以子はいった。

「アガレット、魔導術で雨を降らすことはできる?」

「可能です」

「じゃあみんなに伝えて。魔導士には、できるだけ広範囲の雨を降らせるように。兵士には、ちょっとでもいい、魔族の皮膚に傷をつければいいと。そうすれば──」

 水の牢獄から、すさまじ形相でこちらを睨み付ける魔王に、芽以子は息をのむ。

「そうすれば、こんな感じで自滅するってね」

 いまや魔王は、巨大な水泡の中で四肢を二つに分かたれ、激しくスパークしている。水により魔力が分散されて、魔王の巨体を支えていた術式(プログラム)コードにエネルギーが行き渡らなくなり、自壊が始まっていた。

 ティアラがいった。

「魔族の弱点が、水だったなんて。こんな簡単ことに、誰も気づけなかったとは……」

「そりゃあしょうがないでしょうね。魔族も必死に隠してたんでしょうし──」

 ──それに、こんなチープな設定だからこそ、意図的に隠されていたわけだし。

 芽以子は眼下に広がる光景を見た。

 ウルパック市は、数多の煙と火の手があがっている。あの都の中で、いったいどれほどの人間が死んだというのだろう。アーサーは無事だろうか?

 巨大なウルパック城からも無数の黒煙が上がっている。魔術砲撃により、いくつかの尖塔は瓦解して原型もとどめていなかった。そこで、下敷きとなり命を失った者も多くいるだろう。兵士はもちろん、非戦闘員である侍女や来賓も。

 空中庭園に至っては、魔王の砲撃によりほとんどが崩れ去っていた。天国の庭を模した美しい庭園は見る影もない。樹々はへし折れ、花々は踏みにじられている。魔王敗退により付近の魔族は一斉に逃げ出して、生き残った魔導士五〇余名が雨の術式を展開し、いま空高く術式を放つ。

 雨の中、衛生兵が、瓦礫をかき分けて倒れた仲間を必死に救助していた。

「ティアラ、下ろして」

 三人は、ゆっくりと瓦解を免れた空中庭園に降り立つ。芽以子は、倒れている魔導士に走り寄った。ティアラとアガレットは沈痛な面持ちで芽以子を見ている。

 芽以子はしゃがんで彼を助け起こそうとしたが、背中を切り裂かれてすでに事切れていた。

「なんで、こんなことが必要なのよ……」

 ここが小説の中の世界であったとしても。

 こんな簡単に、人の命を奪うなど許されないと、芽以子は思う。

 

「本当の敵は──」

 

 芽以子は(ささや)く。ぼくに向かって

 

「──おまえだよ」

 

 水牢から、くぐもった爆発音。三人は見上げる。

 魔王が語りかけてくる。

「なるほどな、勇者。貴様は全知なる者か」

「まだこんな茶番を続ける気!?」

「茶番では、ないさ──」

 崩れゆく魔王の顔が大きく歪み、人のそれへと変容する。

 そして、凄絶な笑みをかたどった。

本番(クライマックス)は、これからです」

 突如、芽以子の体が強烈に発光しだす。

「なっ!?」

「芽以子さま!?」

 ティアラが芽以子に走り寄る。

「ティアラ──!」

 芽以子がティアラに手を伸ばす。ふたりの指先が触れる、その寸前に。

 芽以子はティアラの目前で消失した。

「芽以子さま……?」

 その指先は、虚空を掴む。

「芽以子さま──!」

 ティアラの絶叫は、雨の空へと消えていった。