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メタっ娘

chapter 5-1 さぁ、始めようか!

 青空の向こうに、黒雲のような何かが立ちこめている。空と海を結ぶ地平線からにじみ出てくる染みのように、徐々に広がっていた。

 それは、魔族。

 帆船の上で戦った五〇〇体の魔族とは桁が違う。おそらくは、数十万体はいる大軍勢だ。あの大軍が到着すれば、このウルパックの空は魔族で染まる。

 芽以子とティアラは、王城中程のバルコニーに飛び出した。ルーフバルコニーには数十人の近衛兵と、先に到着していたアガレットとアーサーがいた。

 広いルーフバルコニーで、近衛兵たちはしきりに行き交い、せわしなく連絡を取り合っている。各地から情報を集め、また各国に打診をしているようだった。

「アーサー陛下」

 息切れを整えることもなく、ティアラはアーサーに問いかける。

「なぜ突然、魔族が」

「情報を集めている。だがおそらくは、空間転移の純魔術だろう。それ以外に考えられん」

「あれほどの数を、転移したというのですか?」

「目の前に広がる光景が現実だ。甘く見ていた」

 アーサーの拳に力が入った。

「すべて秘匿されていたのだ。状況も、戦力も。氷の死地での観測は、まだすべてグリーンだったのだ。完全な奇襲攻撃だ。裏をかかれた」

「それにしたって、あの数は……」

「ウルパック部隊の数十倍はおるだろうな。アリゼール全軍に招集をかけているが、間に合わん。各国の軍勢ともなればさらに遅れる」

 芽以子はアーサーの横顔を見る。晩餐会でのあの親しみやすさは消え失せていた。世界のリーダーである人物が自分の隣にいて、そしてその人物でさえ窮地に立たされている。

 アーサーがうなるようにいった。

「これだけの手勢を揃えていたとは。あれがすべてなのか、まだ余力があるのか、もはや人類側には誰にも分からん。これでは、人類唯一の数による優位性が台無しだ」

「あの中には、おそらく高位魔族も混じっていることでしょう」

「だろうな。やっかいなことだ」

 周囲は怒号が飛び交っている。その声を聞いていると、魔族軍団の到着はあと一時間もないようだった。

 照りつけるような日差しだというのに、芽以子の肌は汗を一切出さなかった。体中の震えが止まらない。立っていられるのが不思議なくらいだった。

 まるで、おばけにおびえる子供のように。その子供が親にすがるように。芽以子は三人を見ていた。

 もはや、声も出なかった。

 アーサーが、一歩下がって控えていたアガレットに向き直る。

「アガレット殿」

「はっ」

「王連憲章第一条一項の取り決めにおいて、我が国の陸・海・魔、そして今後招集される各国軍団の、統合幕僚長を任命したい。よろしいな?」

「承知しました」

 衛兵の一人が、一振りの巨大な両刃剣を持参する。(ひざまづ)いてその両刃剣をアーサーに手渡すと、アーサーの手からアガレットにゆだねられた。

 ティアラが芽以子の隣にきて説明する。

「あれは、統合幕僚長の証の剣です」

 アガレットは、その両刃剣を腰に下げる。

「これより人類は、アガレットの指揮下に入ります」

「な……なんで……?」

 芽以子の声はカラカラにかれていて、それ以上は意味をなさなかった。だがティアラはそれだけで芽以子の問いに答えてくる。

「彼女が、大魔導士だからです」

 アガレット=ブランケットはわずか十八歳。地球だったら今頃は受験の天王山。夏休みは予備校に通っているはずだ。あるいは自暴自棄になって海にでも遊びに繰り出していることだろう。

 なのに彼女は、世界中の軍隊を率いて戦争へ身を投じるという。

 ティアラがいった。芽以子の内心を察して。

「大丈夫。アガレットは大丈夫です。この時代に力ある生を受け、そして大魔導士を拝命したときに、彼女の覚悟は決まっています」

 芽以子はティアラを見た。

「ティアラも、そうなの……?」

 ティアラは静かに微笑んで頷いただけだった。

「幕僚長!」

 アーサーは、ほんの十八歳の少女を幕僚長と呼ぶ。

「わしは、ウルパック警備隊とともに、前線にて指揮を取ろうと思う。いかがか!」

「承認します。可能な限り速やかに、臣民の避難を」

「了解した!」

 アガレットとアーサーは強く見つめ合い、そしてお互いが頷く。

「聞け! 皆の者!」

 アーサーの怒号がルーフバルコニーいっぱいに響き渡る。せわしなく動いていた近衛兵たちがぴたりと止まると、アーサーに向かって最敬礼する。

「わしは、いまこの時代に、大魔導士を輩出することができたのは、人類勝利の必然であるとつねづね実感していた。そしていまこそが、その真価を発揮する時である!」

 アーサーの言葉に、近衛兵は微動だにせず聞き入っている。

「圧倒的な不条理に対し、人類は常に勝利を収めてきた! そしてここに、勇者をも降臨した!」

 視線が一斉に芽以子を射貫く。芽以子は、その鬼気迫る視線に、自分の感情とは無関係に涙が溢れて来そうになる。

 それでも泣いて逃げ出さなかったのは、隣にいたティアラがそっと手を握ってくれたから。芽以子はティアラの手をぎゅっと握り返す。

 ティアラの体温を感じるだけで、芽以子の恐怖は霧散していった。

「勝機は我らにある! 例えどんな逆境に見舞われようとも、決してあきらめるな! 決してひるむな! 諸君らの活躍は、後世に受け継ぐ希望である!」

 さきほどまで浮き足立っていた近衛兵たちは、アーサーの号令ひとつによって、鋭い覇気に満ちていく。

「子供たちに、子孫に、我ら人類の底力を証明し、そして人類の希望を繋ぐために!」

 アーサーが、己の剣を引き抜き、(とき)の声を上げる。

「ゆくぞ!」

 近衛兵たちは狂ったかのように叫び、アーサーに呼応すると、光に包まれ浮かび上がる。

「芽以子殿!」

 アーサーを見た。彼は、宴の時に見たときと同じように、迫力満点の、それでいてとても親しい顔を芽以子に向ける。

「希望はいまここに、常に貴殿とともにある! そなたが光を望むなら、光に向かってまっすぐ進め!」

 そういって、アーサーは破顔する。その猛々しくて太陽よりも熱い笑顔は、きっと生涯忘れることはない。

「……あ……」

 芽以子がその言葉を発する前に、アーサーは覇気を吐く。

「近衛隊全軍! 出撃!」

 アーサーは、光となってウルパック市街へと飛び立つ。無数の近衛兵たちがその後に伴った。

 脳裏に焼き付くアーサーの背中。もう二度と会えないかもしれない──そんなことを思いながら人と別れたことなど初めてだった。

 誰もいなくなって静まりかえったバルコニーに、芽以子はへたり込む。

「芽以子さま!」

 ティアラが寄り添ってくれた。

「……ティアラ……わたし……」

 我慢していた大粒の涙がこぼれてくる。

「わたしに……何ができるの……? 何ができるというの……?」

 それは痛切な懇願だった。胸の奥からの、たった一つの懇願だった。

「教えて……お願い……!」

 ティアラは、答えない。

 答えの代わりに、芽以子をぎゅっと抱きしめる。

 そして彼女は謝らない。

 芽以子をこの戦地に召還してしまったことを、彼女は決して謝らない。

 それが、いまの芽以子をもっとも傷つける言葉であることを知っているから。どんなに詫びたくても、ティアラはきっとこの戦いが終わるまで、その懺悔は胸の裡にしまっている。

 芽以子はそのティアラにしがみつきながら、奥歯をかみしめて考える。

 何ができる?

 父親は都内につとめる会社員で、母親はパートに精を出す兼業主婦だ。兄弟姉妹はおらず一人っ子。2LDKのマンションは、そこそこ広いリビングに、両親の寝室と芽以子の部屋。暇なときは携帯電話で友達としゃべったり、メッセージしたり。ネットでお買い得の服を見つけては、原宿に友達と遊びに行った。

 ケヤキ並木のその下で、クレープを食べたりしながら古着屋を見て回るのが、なんでこんなに懐かしく思えるのだろう?

 こんなわたしに、何ができる?

 ティアラのように技もない。アガレットのように力もない。ただただ普通に、そしてちょっと退屈に十六年を過ごしてきただけだった。

 何ができる……!?

 芽以子は瞳をぎゅっとつぶる。奥歯がギリリと音を立てた。

 それでも芽以子は、考えることをやめたりしない。

 アーサーがいっていたから。光に向かってまっすぐ進めと。

 アガレットが示してくれたから。どんな苛烈な宿命にも負けない勇気を。

 そしていつだって、ティアラが隣にいてくれるから。

「……そうか」

 こんなに頭を使ったのは初めてだった。

 まるで首を絞められているかのような苦しみだった。

 芽以子は立ちくらみのような感覚を覚えながらも、ティアラを見た。

「ティアラ、あなたは──」

 その直後、轟音と振動が芽以子を襲う。

「城東棟に被弾! 損害状況を確認中!」

 バルコニーに走ってきた伝令が伝える。アガレットは歯がみした。

「魔導隊に伝令! 城正面に対魔術結界を展開! 展開しながら空中庭園に集結! 自分も空中庭園に入り、以後、空中庭園を統合指令本部(ジェネラル・ヘッドクオーター)とする!」

 アガレットの声は、魔導術によって各部隊に伝えられる。

「陸軍は王立港まで進軍! 海軍は全戦力を王立港に展開! 港からは出るな! 各軍、編隊は任せる。速やかに実行せよ!」

 簡潔な命令を伝えると、アガレットは振り返る。

 あの祭りの夜から、アガレットとティアラは初めて視線を合わせた。

 しかし、あの夜のような少女たちの会話は、ふたりにはもう許されなかった。

「殿下も芽以子さまも空中庭園へ。いまは、そこがもっとも安全です」