イメージ

PAGE

メタっ娘

chapter3-2 ちょっとチートな魔法戦

 ティアラたちの国・セントクリスファーにも日本と同じような四季があるそうだ。いまはちょうど春で、もっとも過ごしやすい季節にあたる。もちろん、日本のような花粉も黄砂も存在しない。

 向かっている王連国際会議の場──アリゼール王国の首都・ウルパックは、もう少し気温が上がり初夏の陽気だという。

 洋上は、雲一つない快晴で、芽以子はすがすがしい空気をめいっぱい吸い込んだ。大きくのびをする。

「これがただの旅行だったら、海外旅行みたいで楽しいんだけどなぁ」

 芽以子は現在、船で移動中だ。

 セントクリスファー王家所有の大型帆船ロイヤル・クリッパーは、全長一三四メートル・総重量五〇〇〇トンの巨大な帆船だった。自国は小国だとティアラはいっていたが、これほどの帆船を所有しているあたり、さすがは王族である。アメリカなどではともかく、ニッポンの金持ちでは太刀打ちできない。

 五本マストの最頂部は十六メートルにもなり、ビルでいえば約五階分相当の高さがある。その巨大なマストに、帆がめいっぱい広がっているさまは勇壮だった。真っ白い帆が、青空にとても映えていた。

 芽以子は、甲板に設置されているパラソル付きテーブルに着席した。少しして、ティアラが船内からトコトコやってくる。紅茶と茶菓子を運んで来た。もちろん、その背後には常にアガレットが付き添っている。

 甲板といってもここは一段高い客室デッキなので、一〇六人いる乗務員は誰もおらず、芽以子たち三人だけだった。

「芽以子さま、お茶が入りましたわ」

 ハッとするほどの笑顔でそういってくるティアラ。彼女の本性は腐化していると知っている芽以子ですら息をのむ笑顔だった。

 本来なら、お茶の用意などティアラ付きの侍女の役目だし、ティアラの世話をするために数人の侍女もこの帆船に搭乗しているのだが、芽以子と一緒にたしなむ食事は、ティアラが作るといい張って、初日は夕食の料理をしたのだが、出てきた食事は、食べられなくはないがどう見ても流動食にしか見えないので、海上生活二日目の今日からはご遠慮頂いた。

 そういうわけで、せいぜいが午後のティータイムのお茶くみくらいだった。

「っていうかさ、アガレットも座りなよ?」

「いえ。自分はあくまでも殿下と芽以子さまの護衛ですから」

 そういって、パラソルの三メートル後方で直立したまま動かないアガレット。船内でも、赤黒の襟詰め制服を着込んでいる。芽以子の頭の中では、話を聞かない属性に融通が利かない生真面目という属性も加わっていた。

「いいんですのよ。アガレットは放っておきましょう」

 ティアラは、天使のような笑みで冷たいことをいう。彼女はアガレットに対しては常に冷たい。

 帆船に乗り込んでからたった一日で、芽以子はいささかうんざりしていた。とにかくティアラは芽以子にべったりなのだ。それはもう、人見知りの幼子が母親について離れないがごとく。

 三食をともにするのはいいとしても、それ以外の時間──たとえばティアラにも自室があるというのに芽以子が使用している客室に入り浸りだし、トイレに立つとティアラも行くというし、この帆船には大浴場もついているのでもちろん一緒に入るといい出す始末。芽以子はお風呂が好きなのだが、せっかくの大浴場を我慢して自室の狭いシャワールームを使っている。ティアラと裸の付き合いをしたらそれこそ何をされるか分かったものではない。

 彼女がただのヘンタイというだけならよかったのだが。お風呂でヘンなことをしたら張り倒しておけばいいので。しかし近接戦闘の達人でかつヘンタイとなれば、防衛手段は限られている。

 しかも、ティアラと一緒にいる間は終始背後にアガレットが控えていて、さらに、アガレットの血走った殺気をビシビシと感じるのだ。せめて同じ輪の中に入ってきてくれればどれだけかラクだというのに、アガレットは護衛の役目を頑なに守って背後で悶々としているだけだからなおたちが悪い。

 はぁ……とため息をつく芽以子を見かねてか、ティアラがフォローを入れた。

「今日は、魔導術のお話でしたよね。アガレットに実践してもらいますし」

「まぁいいわ。それじゃ説明お願い」

 そういうと、芽以子はナッツ入りクッキーをほおばった。甘く香ばしい風味が口の中に広がる。

「魔導術は、魔族の力を模して編み出したということは以前お話しましたよね」

「うん」

「そして魔導術が、基本的に王族にしか使えないことも」

「そうね。なんで王族だけなの?」

「魔導術を使うためには、魔力を感じ取る能力が必要なのです。その能力は、鍛錬で養えるものではなく、個人の生まれ持った適性に依存します。魔導術を編み出したエイブラハムさまはもちろんその魔力を感知できますから、その子孫である我々王族は、遺伝的にそういう適性を持っているんです。もちろん、一般の方でもそういう適性をもって生まれることも希にあります」

 つまり超能力のようなものか、と芽以子は考える。

「それじゃあわたしには魔法……ええと魔導術ってのは使えないわけ?」

「調べてみないと分かりませんがおそらくは。芽以子さまは別世界の方ですし、遺伝的に考えてもそういう適性があるとは考えにくいですね」

「なんだぁ。つまんないの」

 芽以子は、ティアラたち王族が王族であるゆえんが分かった気がした。地球の歴史のような王権神授説などというあやふやな概念とは違い、彼女たちは、魔導術を行使できるという具体的な能力がある。

 つまり、火を起こしたり体を癒したりなどの奇跡を、いつでもポンポンと庶民に見せてやることができるのだ。しかも魔導術は戦力そのものであり、使い方次第では富の源泉にもなる。

 この世界では、王族が、ヒエラルキーの頂点でいられるはっきりとした理由があった。

「大丈夫ですよ芽以子さま。芽以子さまにはわたくしがいます。おっしゃって頂ければ、好きなように魔導術を使って差し上げます。それはもぅ常に寄り添って。だから芽以子さまが魔導術を使えるようなものですわ」

 芽以子はジト目でティアラを見た。

「あなたどうして、台詞の端々にアヤシイ言動を潜めるわけ?」

 この世界の最エリートたちは、おしなべてバカなのかもしれない。魔導術を使いすぎると頭が悪くなるのだろうか?

「えっ……。いまのわたくしの発言に何か不適切な点がありまして?」

「まぁいいけど。それで魔力って何?」

「魔力とは魔導術の源。源なくしていくら呪文を唱えても魔導術は発動しません」

「なるほど。つまり魔力って石油みたいなものか……」

 石油は地中深くに埋まっていて、どこに埋まっているのかは正確には分からない。しかしそれを掘り当てれば大富豪になること間違いないだろう。ティアラたちは、それを独占しているようなものだ。

 芽以子がいった。

「魔導術の燃料には魔力が必要で、その魔力は、ティアラたち王族でないと発見することはできないわけね。魔力が発見できなければ、とうぜん魔導術は使えない」

「さすが芽以子さまです。理解が早いですね」

 ティアラは両手をパチンと合わせてそういった。

「そりゃわたしの世界と似てるところもあるし……」

 そういいかけて芽以子はハッとなった。

「似てるところがある、じゃなくて似せて作ったわけか」

「それはどういう──」

 ティアラが問いかける終わる前に、芽以子は手を伸ばして、ティアラの頬をぷにっつまんでみる。

「め……めいこひゃま……?」

 芽以子から触れてきたことが相当嬉しかったのか、ティアラは顔をボッと赤く染めた。脳天からポーッと汽車のような蒸気が吹き出ている、気がする。

 芽以子はぷにぷにとティアラの頬を揉んでみた。

「最近忘れがちだけど、ここはまぁ異世界なのよねぇ」

 虚構の異世界、と芽以子は心の中でそういい直す。ティアラの柔らかな頬の感触を感じていると、とてもここが幻のような世界だとは思えないが。

 そして幻の中だというのに、ティアラたちは必死で戦っている。

「めいこひゃま……そんなにわたくしをかんじたいのでしたらいっそここで……! イタタタタ──!」

 ティアラの頬を思いっきりつねる。

 どうしたらそういういい回しを思い付くのか。芽以子はわずかに頬を赤らめた。

「ひどいですわ。芽以子さまのほうから迫ってきたというのに」

「誰が迫るか!」

 それに、アガレットの視線がヒシヒシとイタイ。

 芽以子は続けた。

「で、話を戻すけど、魔導術って具体的にどんなことができるの?」

「そうですわね、そのお話については──」

 急に、ティアラの目がスッと細まる。真剣な表情なのに、どこか楽しそうで、清冽(せいれつ)な魅惑を秘めた微笑。いまのいままでぽやんとしていた顔とは別人だ。

「ど、どしたの?」

「──魔導術の具体的な使用方法については、実演しながらお話しましょう」

 そういってティアラは静かに立ち上がる。それと同時にアガレットが鋭い声をあげた。

「殿下!」

「分かっています」

 アガレットは帆船前方の上空を睨んですでに身構えている。ティアラもパラソルの外に出て、アガレットと同じ方向を見た。芽以子もそちらに目をやる。

 青空の向こうに、なにか、一角だけ黒いシミのようなものが浮かんでいる。

「な、なにあれ?」

「魔物のようですわね。芽以子さま、こちらへ」

 芽以子はいわれるまま、アガレットとティアラの背後に回る。こんな華奢な女の子の後ろに隠れるなんていささか気恥ずかしかったが、芽以子はいまだレベル一なのだから仕方がない。

 そもそも今後、レベルをあげられるのだろうか?

 船室から、衛兵がわらわらと現れた。それをティアラは片手で制する。

「いいです。その場で控えていなさい」

 衛兵はいわれるままにその場で止まった。ティアラはアガレットと肩を並べて尋ねた。

「数はどのくらいです?」

「約五〇〇といったところでしょう。距離は三キロ」

「活性化しているというのは本当のようですわね」

 ふたりの会話を聞いて、芽以子は生唾を飲んだ。この大型帆船には、非戦闘員も含めて一〇〇人ちょっとしかいないのだ。芽以子にだって、これがどういう状態なのかは分かるつもりだ。

 つまり、絶体絶命。単純戦闘において勝因は数である。五倍もの戦力差があっては、まともにぶつかって勝てるはずもない。

 しかもこちらは乗船しており、相手は空から攻めてくる。地の利としても最悪だった。

「……か、かてるの……?」

 問いかけた声のあまりの情けなさに、芽以子は内心うんざりしたが、腰が引けてしまうのはどうにもならない。芽以子が知っている合戦は、テレビの中での出来事だったのだから。

「もちろんですわ」

 ティアラは振り返ると、にっこりと優雅に、そういってのけた。

 芽以子を心配させないための配慮でもないようだ。彼女は勝利を確信している。今回ほど、ティアラが頼もしく思えたことはない。

「うっかり惚れちゃうような笑顔ね」

 うっかりいってしまったその台詞に、しかしティアラの反応は普段とはまるで違う。

「もちろん、そうなって頂くつもりですわ」

 そういって、不敵な微笑。海風になぐ金髪を、片手で優雅に押さえながら。

 ──ナ?

 芽以子は顔面を真っ赤にする。

 ナニこのカッコ良さは!?

 芽以子は心の中で絶叫する。

 違う違う違う違う! こ、これは吊り橋効果そう吊り橋効果よ!? 戦い恐怖とティアラへのドキドキとを混同しちゃダメ! っていうかわたしこの世界の主人公のはずでしょナニこのお姫さま的立ち位置は! 逆でしょ逆!?

「さて、それでは芽以子さま──」

 ティアラは前方に向きなおる。華奢なラインの背中が、こんなに心強く思える日が来ようとは考えもしなかった。

「──お話を続けましょう。魔導術発動のためには、呪文と方陣、ふたつの術式を同時に組み立てる必要があります。アガレット」

「はっ」

「任せます。海上ですし、派手なの一発頼みますわ」

「かしこまりました」

 アガレットは数歩前に出ると、ぐんぐん大きくなる魔族の軍団を見据えて、短剣を虚空に構えた。

 そうしてアガレットの朗々とした言葉が聞こえてくる。

「アガレットがいま唱えているのが呪文です。そして──」

 突然、アガレットの周囲に赤い光の輪が出現する。礼拝堂での戦闘の時にも見た光だ。よく見ると、方陣とはただの光の輪なのではなく、幾何学的な文様や文字が描かれていた。それが小さく連なり発光することで、あたかも光の輪のように見えている。

「この光の輪が方陣です。魔導術において、呪文は効果を作り、方陣は形状を作ります」

 呪文は建物の基礎や柱に、方陣は建物の形やデザインにそれぞれ相当すると、ティアラは建築に例えた。

「魔力から『炎』を錬成するとき、ものを燃やすという効果は呪文によって作られます。そして目に見える炎の赤い形状を方陣によって作ります。ものを燃やす効果だけ作っても、炎が揺らぐ形状だけ作っても、魔導術としては完成しないわけですね」

 アガレットの周囲を取り囲む方陣が、ヴン……と虫の羽音のような音を立ててひときわ大きく広がる。背後に控えている兵士たちが「おお……」と感嘆の声をあげる。

 アガレットの呪文に合わせて展開された方陣は、頭上十メートルほどの位置で、巨大な立体構造を描いている。学校のプールほどの容積はあろうかという大きさだ。

 光の文様が絡み合うレーザー光線のオブジェといったところだろうか。様々な文様が脈動し、文字が変化し続けている。

「本来、魔導術とは二人一組で錬成するのが基本です。呪文と方陣を分担して組み立てます。人数が多くなればなるほど魔導術は強力になるわけですが。アガレットを始め高位魔導士になると、これを一人で錬成することが可能です」

 まるで何かの歌のように響く呪文に、圧倒的な迫力をもって展開する方陣。芽以子はただただ目を見張るばかりで、その歌を聴き、その光を見つめていた。

「そしてこれは最強の攻勢魔導術、天の火──アグニ・サルガ。本来であれば、一〇〇名の魔導士が、一時間かけて錬成する戦略術式です。小山ひとつくらいなら軽く吹き飛びます」

 魔導術は、大人数で錬成するほどに強力な魔導術が発動できるが、その反面、時間がかかり部分的な失敗も多くなる。魔導術最強ともなれば、たくさんの魔導士が術式を錬成しなければならないが、術式のディテールに整合性がとれなくなり、その出力は、設計思想の三割から四割程度に減衰する。

 だがアガレットの場合は一人で錬成が可能なので、まず術式の完成時間がきわめて短い。ほんの五分といったところだ。複数人数で行うためには『つなぎ術式』を節々に混ぜなくてはならず、それが百人ともなれば膨大な数に膨れあがる。実際に、一時間以上かかる術式の最中は、ほとんどがつなぎ術式を錬成しているにすぎない。だから一人で錬成するほうが、圧倒的に完成時間は短くなる。それに彼女は、魔導術のことを知り尽くしているので、術式のショートカットが並外れて上手い。

 一人で錬成する利点のもう一つは、威力が減衰しないこと。細部の細部まできめ細かく術式を管理できるのでクオリティが落ちることがない。だから術式本来の力を発現できる。

 時間と品質が悪化することが分かりきっている術式の複数錬成なのに、どうして複数人でやらなければならないのか? その答えは簡単で、ひとえに、複数人でないと魔力が足りないからに他ならない。

「彼女は、国外では『魔族に魅入られた人間』なんて不名誉な呼ばれ方もしてまして」

 アガレットを語るティアラのその横顔は、いつもの煙たがっている顔付きではなかった。

 どこか寂しそうな、そんな横顔に芽以子には見えた。

「アガレットは、魔力感知の能力が桁外れなのです。人間である以上、術式を媒介にしなければならないのは一緒ですが、魔力の抽出量だけみれば、おそらくは高位魔族と同等ではないかと思います。ほぼ無尽蔵に魔力を抽出することができ、このような巨大術式も、ひとりで錬成が可能なのです」

 世界最高位の大魔導士・アガレットの詠唱がひときわ大きくこだまする。

 方陣は強烈に発光して、いっそう膨れあがる。芽以子たちの周囲に半透明の赤い膜ができ、ドーム型の膜は瞬く間に帆船全体を覆った。

 方陣は、いまや空一面に広がる。青空が赤光で敷き詰められた。

 アガレットが術式を解き放つ。

 

 ──天の火(アグニ・サルガ)

 

 真っ赤に染まった天空から、幾千本もの火柱が降り注ぐ。

 赤い光に照らされながら、芽以子はあっけにとられて言葉を失っていた。

 まるで絨毯爆撃だ。

 はっきりと視認できるまで迫ってきた前方の魔族軍団はもちろん、帆船の四方八方に巨大な火柱が、幾千本・幾万回も降り注ぐ。

 すぐ向こうは世界の終焉だった。三百六十度にわたり降り注ぐ灼熱の豪雨の中で、生命が生存できるとは思えない。

 大音量の爆音が終始耳をつんざくが、実際にはこれ以上の轟音なのだろう。この帆船を取り囲む半透明の膜は防護シェルターのようで、それが爆撃音の大部分を遮断している。

「……こんな」

 芽以子は呆然とつぶやく。轟音にかき消されて、すぐ横のティアラにも聞こえてはいないようだった。

「こんな攻撃を、たったひとりの人間が扱えるというの……?」

 爆撃機数十機の火力を、人ひとりがものの数分間で生み出すことができる。アガレットが人類希に見る天恵を受けたとはいえ、想像を絶する攻撃力だった。

 ティアラが冗談めかして、彼女の処遇を一存では決められないといっていたが、いまならその台詞が冗談でもなんでもないとわかる。

 処遇どころか、彼女が国内外を移動するだけで各国間に様々な憶測や問題が噴出するだろう。どの国だって、数十機の爆撃機を搭載した空母を喜んで受け入れるわけがないのだから。

 アガレットによる無差別広範囲爆撃は十数分間にわたり続けられた。芽以子には、それが小一時間近く感じられたが。

 やがてシェルターが解放されると、帆船の周囲は霧で覆われていた。むっとした熱気が芽以子の体にまとわりつく。梅雨時期よりいっそうに不快な湿度だった。辺りの海水が蒸発している。

 アガレットを見ると、彼女は汗一つ書くことなく振り返った。

「おそらく、数十匹は撃ちもらしたかと思われます。天の火(アグニ・サルガ)を再度錬成しますか?」

 あれほどの大攻撃を、もう一度やるとアガレットは何事もなくいってのける。芽以子は絶句していた。

「もういいですわ。わたくしの見せ場がなくなってしまいます」

 ティアラはつまらなそうにそういうと、甲板の切っ先に向かって歩き始める。

「アガレットは念のため結界を張って芽以子さまの護衛を」

「しかし殿下──!」

「ほら、思ったより早く来てしまいましたわ」

 耳障りな咆吼が幾重にも重なる。立ちこめる水蒸気の中から魔族が現れていた。その数約三〇体。

 芽以子はその化け物を知っている。ゲームなどで見たことのある異形の化け物──ガーゴイル。

 目は細く真っ赤。口はカラスのような大きな(くちばし)。頭部からは一対のツノ。背中にはコウモリのような羽。体色はくすんだ緑色。

 背丈は、人間の二倍から三倍はあるだろうか。巨大な化け物は、コウモリの羽を大きく羽ばたいて空を飛んでいる。

 それが三〇体弱。その真っ赤な目がすべて、こちらを睨み付けていた。

 芽以子を凝視している。

 ティアラとは入れ替わりに芽以子の横に来たアガレットがいった。

「標的はあなたのようです」

 誰が戦うかの押し問答をする時間はなくなったらしい。

 魔物の視線に身震いしながらも、芽以子はティアラの小さな背中を見る。

「ティアラ、大丈夫なの?」

 たしかにティアラは、芽以子やアガレットをいとも簡単に組み伏した。しかし今回の相手は、ティアラの三倍はある化け物だ。しかも三〇体。人間同士だって、ここまで体格と数が違えばケンカにもならない。

「まず問題ないと思いますが、いざというときは自分が再び出ます」

 そうとだけいうと、アガレットは呪文を詠唱し始める。ティアラのいいつけ通り、この付近に結界を張った。背後でおろおろしている兵士をも囲む。いくら命令といえ、いかにも屈強そうな成人男子たちが頭数揃えて、少女たちの戦いを観戦しているだけとはいささか情けないと芽以子は思ったが。

「さて、と。芽以子さま」

 ティアラは、ガーゴイルの目前にまで来ると、くるっと振り返って化け物たちに背中を見せる。場違いなほど可愛らしい笑顔で、芽以子に向かって手を振った。

「わたくしの活躍、よっく見ていてくださいねー」

「そんなことはいいわよ!? あぶないあぶない! ほらホラきたキターーー!」

 芽以子の裏返った声と同時。

 ティアラを襲おうと迫り来るガーゴイルの動きが、その一瞬でピタリと止まる。

 いままさに、ティアラの背中を切り裂かんと大きく振りかぶった腕、その指先の鋭利な爪が、金縛りにでもなったかのように動かない。

 その直後、異様に長い腕は切り刻まれた。

「……え?」

 指先から肩にかけてまでバラバラにはじけ飛び、どす黒い液体が周囲に舞い散った。ガーゴイルの甲高い悲鳴が不気味にこだまする。

「わたくしにも、慈悲はあります」

 ティアラは、ゆっくりとガーゴイルに向き直る。

「死にたくなければ引きなさい。向かってくる者には容赦しません」

 ティアラの最後通告は、しかし魔族はまったく聞き入れない。上下左右から、四体のガーゴイルがティアラに向かって飛びかかる。

 だが結果はすべて同じだった。四体のガーゴイルは、まるでビデオの一時停止のように制止すると、今度は四体同時に肉体がはじけ飛んだ。

 ガーゴイルの黒い鮮血と肉片が盛大に飛び散るが、そのすべてがティアラを避けて甲板に落ちた。

 甲板に落ちたガーゴイルの足がまだ動いているのを見てしまい、芽以子は口を押さえる。

「な……なにあれ……?」

 芽以子はティアラの戦闘から目を背けた。アガレットが答える。

「殿下は、空属性(アーカーシャ)の術式を応用して、鉄線を武器として使用します。戦場に、見えない鉄線を張り巡らし相手を切り裂くのです。非常に独特な戦闘方法……というよりも殿下のオリジナルです。剣・槍などの武器とは違い、アレは目に見えず、リーチは無詠唱でも五〇メートルに及びますから、接近戦で殿下の攻撃を避けられる者は人間・魔族問わずまずいません」

「どんなお姫さまよ……」

 前に組み伏せられたときに手足についていたワイヤーのような細い糸がその鉄線というものなのだろう。いまの戦闘で、ティアラの周囲にキラキラとした一線が走っていたのを見た気がする。おそらくそれが鉄線だ。

 見えない鉄線は、魔導術によってティアラの周囲に蜘蛛の巣のように展開し、それに触れた者すべてを切り刻む。

「魔導術には五つの属性があります。(プリティヴィー)(ジャラ)(アグニ)(ヴァーユ)(アーカーシャ)の五属性です。殿下が得手とする空属性(アーカーシャ)は空間を操る魔導術で、これはセントクリスファー王家直系の人間しか扱えない秘術です。この空間の術式を使い、鉄線を張り巡らせ、敵を倒します」

「あなたのように、呪文が聞こえたり方陣が見えたりはなかったけど?」

空属性(アーカーシャ)は隠密性に優れています。もともとが、空間を操るという抽象的な術式ですから、ほかの四属性とはかなり異なるのです。鉄線を張り巡らす程度では、呪文も方陣も見聞きできません。その分、攻勢術式は作れないといわれています。さまざまな研究がなされていますが、少なくとも現代の知識と技術では空属性(アーカーシャ)の攻勢術式は編み出せておりません。ですから殿下は直接攻撃に鉄線を使用するのです」

 芽以子を呼び出した召還の秘術も、空属性(アーカーシャ)に連なる術式だとアガレットは説明する。

「召還の秘術は大魔術のうえ殿下にしか扱えませんから、清められた礼拝堂に方陣を直接描いた上で、殿下は三日三晩術式を錬成され続けました」

 アガレットの説明が終わるのと時を同じくして、甲板前方が静かになる。ひっきりなしに聞こえていたガーゴイルの悲鳴が止んでいた。

 芽以子はおそるおそる前方の甲板に目を向ける。

 そこには、純白のドレスを着た少女の後ろ姿。黒い血だまりと肉片の中心で、こともなげに立っていた。

 水蒸気の晴れた上空をみれば、八体ほどのガーゴイルが逃げ帰っていく姿が見える。

 五〇〇体もの軍団を前に、帆船ロイヤル・クリッパーの搭乗員総出の総力戦を展開しなければならないのかと思いきや、少女たちは圧勝だった。たった二人で。

 ティアラが振り返る。

「芽以子さま! わたくしの活躍、見て頂けましたかー!」

 そうして小走りでトコトコと走ってくる。ティアラの走る場所だけ黒い血だまりが消えた。空の術式で血を避けているのだろう。ティアラが返り血を一切浴びていないのも同じ理屈だ。

「見るもナニも……」

 へたり……と。芽以子はその場に座り込む。

「こんなデンジャラスかつグロテスクなバトルシーン、映倫に引っかかって公開できないわよ……」

 芽以子は疲れ切ってつぶやいた。