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メタっ娘

chapter2-1 残念なお姫様、いよいよ登場!

 体が重い。芽以子は尋常でない体の重さに眉をひそめる。

「う……う、ん……」

 自分が眠っていることは分かっていた。そしてもう少しで眠りから覚めるということも。しかしこの体の重さはいったいなんなのだろう? そして熱い。とくにその得体の知れない熱源は、少しねっとりとしていて、首筋から胸にかけてゆっくりと移動している。

 そして何よりも、鼻孔をくすぐる甘い匂い。

「……な……なに……?」

 自分の体が尋常でない状況に置かれていることに気づいた芽以子は、眠気を振り払ってゆっくりと目を開ける。

 かすんだ視界に入り込んできた光景は、芽以子の部屋とは似ても似つかない現実だった。

「……え?」

 まず何よりも、吹き抜け四階はあろうかという高い天井。部屋というよりは広大なホールだ。まるで体育館のように天井が高く、円形に湾曲している。少し横に視線を移すと、その天蓋から続く壁一面にステンドグラスが填められていた。そしてステンドグラスの手前には、威厳漂う人型の石像が置かれている。

 どこかで見たような光景──そう、ヨーロッパの壮大な礼拝堂の祭壇のような。そんな光景が、芽以子の意識の覚醒とともにゆっくりと浮かび上がってくる。しかしそんな祭壇で自分が寝ているはずが──

「……あっ、なっ……!?」

 が、しかし。その光景の真偽を確かめる間はなかった。

 芽以子は突然、胸を鷲掴みにされていた。驚愕し顔だけ起こし、自分の体を見る。

 はぁ はぁ はぁ

 粗い吐息。

 ぬめ ぬめ ぬめ

 ナメクジのように這いずる舌。

 ぎら ぎら ぎら

 そして、真っ赤に充血した二つの碧眼。

 このいっときに理解したことはひとつだけだった。つまりソレが人だということ。

 自室で寝ていたはずが、どこかまったく見知らぬ祭壇の御前で寝転がり、かつ、得体の知れない人間が、自分の体の上にのしかかっている。芽以子の頭は真っ白にフリーズした。

 その人間はいった。興奮しきって高揚した声音で。

「……ああ、怖がらないで。……ステキ、初めてなのね……」

 気づけば声は耳元で聞こえている。首筋に──まるでナメクジが這い回っているかのようにぬめっと、首筋を何かが伝う。

 その人間の舌が自分の首筋をなめていて、いわんや、熱い吐息を耳に吹きかけられて、耳たぶをカプッと甘噛みされるに至り、芽以子はようやく、自分の貞操が危機的状況に陥っていることに気づいた。

 と思ったが瞬間、全身の毛穴という毛穴が総毛立ち、湿疹と見まがうほどの鳥肌が現れる。感情より先に体中がガクガクと震えだし、緊張の余り縮小する肺にしかしめいっぱい酸素を吸引すると、一秒息を止め──

「キ……キイヤアアアアアアア──────!」

 開口一番、人生最大であろう声量で悲鳴を上げ、シーツの上をジタバタと後じさった。

「な、な、な、な……!?」

 混乱の極みのさなか、それでも自分の体のボディチェックをする。パジャマの前ボタンはだけているが下着はつけたままだ。お腹や胸元などの肌が少し湿っているのは……考えたくもない。ズボンは大丈夫、まだ脱がされていない。ということはショーツも……無事だ。

 耳の奥がドク!ドク!ドク!と脈打って、周囲の音などまともに聞こえなさそうだったが、それでも芽以子は涙目になってキッとその人間を睨み付ける。

「な、何よなんなのよあなたは!?」

 睨み付けた人間は、女性だった。

 それも、同性の芽以子でさえ、絶句するほどの美少女だった。

 あまりに均整の取れた顔立ち。輪郭はキレイな逆たまご型でその頬はとても柔らかそうだ。真っ白な柔肌は高揚しているせいかほのかに赤く染まっている。花弁のような桃色の唇の線は細く繊細。頭髪は見事なブロンド。そのブロンドは、神に贔屓(ひいき)されたとしか思えないほど黄金色に輝いき、ゆったりとウエーブがかかっていて細い体の腰元にまで到達していた。

 そしてその体の、華奢なのに豊かなこと。なぜか、彼女は生まれたままの姿であらせられるので(横に脱ぎ捨てられたドレスと下着が散乱している)、その神々しいまでの肢体があらわになっていた。

 触れば壊れそうなほど細い全身のくせに豊満な乳房。純白で張りのある肌。その上気した肌にうっすらと滲む汗すらも宝石のように輝いて、その汗が伝っていく腰は彫刻のようなくびれを見せる。

「あなた誰なの!?」

 生まれたままの姿を隠そうともしないその美少女、なのに痴女に向かって、芽以子は再び声を荒げる。

 ぽやん……と、少し惚けた感じの碧く大きな彼女の瞳をじっと見ていると催眠術でもかけられてしまいそうだった。

「ワタクシ、ですか?」

 その痴女は、ぐいっと芽以子へにじり寄る。芽以子は慌てて、はだけたパジャマの胸元をたぐり寄せると後退した。しかし、すでにベッドの隅に追い込まれる。

 祭壇前に、なぜか設置されているキングサイズベッドの上で、二人の女子は拮抗していた。

「わたくしは──」

「ちょ、ちょちょっと! これ以上近寄らないで!? 舌噛み切るわよ!?」

「わたくしは──」

 さらにズイッと迫りよる痴女。芽以子はなんとか逃れようとベッドの縁の向こうへと身を乗り出す。

 混乱のあまり、ベッドから降りればいいということには気づかなかった。

「わたくしは、ティアラ。セントクリスファー王国の王女です」

「……はいぃ?」

「そんなことよりも、勇者さま」

 ナントカ王国の王女と名乗った変態美少女──ティアラは、キスでもせんばかりの勢いで顔を近づけてくる。

 彼女の吐息が、芽以子の唇に触れた。

「わたくしと、甘い一夜を──」

「ナニいってんのアナタ!? わたしは女よ!?」

 ティアラはクスリと笑う。

「もちろん、存じてますわ」

 ──このオンナ!?

 芽以子の中で雷光のごとき直感が降り注ぐ。

 ──真性のレズムスメだ!

「さぁ、ゆうしゃ──」

「ふ・ざ・けるなーーーーー!」

 芽以子は力の限りティアラを突き飛ばす。

「えっ?」

 そう、突き飛ばしたはずだった。しかし驚きの声をあげたのは芽以子のほうだ。

 芽以子は腕っ節の強いほうでもなんでもないが、こんな華奢な美少女ひとり突き飛ばすことなど造作もない、と思って疑わなかった。

 しかしなぜか、気づけば自分が組み伏せられて仰向けになり、しかもいつのまにかベッド中央に移動しているかと思えば両手両足を押さえつけられて、こんな小さな女の子が組み敷いているだけだというのに手足がまったく動かない。

 芽以子を見下ろすティアラは、狩りをする肉食獣のごとき息づかいになり、いよいよ顔を真っ赤にさせて、しかも、ここまで欲望むき出しになっているというのに絶世の美貌を損なうことがないというのはもはや天恵としかいいようのない──と、ほとんど狂乱しかけている芽以子の頭脳の、唯一冷静であるどこかの部位がそう(ささや)いた。解決策を導き出せないあたり、つまりは混乱の極みなのだろうけれども。

「さぁ、勇者さま……ワタクシとともに一夜を──!」

「や、やだ……ちょっと本気!? 嘘でしょ? やめて誰か助けてーーーー!」

 ぽたり──と。

 頬に、生温かい液体が垂れたのを芽以子は感じた。

 ティアラの(よだれ)かと思ったそれは、真っ赤な液体だった。

 ティアラがいった。

「……あ、鼻血が……」

 そういって、片手で鼻血を拭う。

 その隙、芽以子は自由になった左手を思いっきりグーに握ると、全身全霊渾身の力を込めて真横に振り切った。

 クリーン・ヒットだった。

 芽以子のグーが、ティアラの右顎下(みぎがっか)にジャストミートした。

「ごふっ……と?」

 ティアラは妙にコミカルなうめき声を上げると、どうと倒れる。たいした威力もなかったはずだが、打ち所が悪いのと興奮の絶頂だったのが相まって、軽い脳しんとうを起こしたようだ。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 芽以子は、長距離を全力疾走したかのような勢いで息を荒げながら上体を起こす。

 慎ましやかな自分の胸に顔を埋めて目を回す美少女を見下ろ

「慎ましやかは余計よ!」

 ──混乱してるわりにしっかりツッコミを入れる。

「……そ、そうか」

 芽以子はハッと気づくと、周囲を改めて見回した。

 以前、年の離れた従姉妹の洋装の結婚式に列席したことがあったが、ちょうどこんな礼拝堂だった。ただし広さが桁違いで、結婚式用礼拝堂のゆうに十倍はある。ここは三百人は余裕で収容できる広さだった。

 通常であれば、参拝者用のテーブルや椅子などが置かれているのだろうが、いまはそのすべてが取り除かれて、むき出しの床には何かの文様が書かれている。芽以子はマンガやアニメを熱心に見るタイプではないが、それでも見たことがある、あからさまな魔法陣だった。

 芽以子のいる祭壇は、その礼拝堂の最前列に位置し、三段ほどあがった壇上だった。壇上には、この場には不釣り合いなキングサイズベッドが置かれており、ベッドの奥にこの国の神さまであろう人型の石像が据え置かれている。石像の背後の巨大なステンドグラスからは淡い光が差し込んでいた。ステンドグラスなので屋外は見えないが、いまはまだ夜のようで、光は月明かりのようだ。

 つまり芽以子は、神のお膝元で情事に(ふけ)ようとしていたわけである。

「っていうかアンタがそう仕組んだんでしょうが!」

 あさっての方向に向かって叫ぶ芽以子。

「シラを切ってないで話に応じなさい! このバカ作者! っていうか……」

 芽以子は、眠るように気を失っている全裸のティアラを見下ろす。

「……こ、こんないかがわしいキャラを登場させるなんて、あんたほんっきで変態だわ!」

 いやだな、芽以子さん。人聞きの悪いこといわないでください。ラノベは多少のえっちぃ場面も必要なんですよ。

「だからってなんでレズムスメなのよ!?」

 いや、これも最近の潮流でしたねぇ(遠い目)。レズっ娘ってウケがよくて。ですからこのラノベは、主要人物みんな女の子ですんで。そこんとこよろしく。

「よろしくじゃない! この変質者!」

 でーすーかーらー、あくまでも最近の流行りを取り入れているだけで、けっしてぼくの好みとかそういうんじゃないので誤解を招く発言しないでください。そもそも、ラノベ進行中ではぼくに話しかけないでくださいってば。

「そっちの都合なんて知らないっていってるでしょ! そもそもどういう状況なのこれは!?」

 いやだから、異世界ファンタジーモノだっていったでしょ? いままさに、芽以子さんは異世界に召還されたところでして。冷たい祭壇に安置されるなんてかわいそうだと思ったから、ふかふかのベッドを置いてあげたこの粋な計らいを褒めて頂きたいくらいですが。

「……単に、えっちな場面を描写したかっただけでしょ……」

 まぁそうともいいます。

「……この……いけしゃあしゃあと……」

 それでティアラは、芽以子さんを召還した張本人です。三日三晩寝食も採らずに召還魔法を続けてたんで、だいぶお疲れだったんですよ? それなのに、芽以子さんにグーで殴られるとは……

「お疲れの人間が人を襲うか!」

 疲れすぎて多少ラリってたんでしょう、あーほらほら、目を覚ましますよティアラが。ラノベを進行させてくださいね。

「……う……ん……」

 ティアラがうめき声をあげる。芽以子は憮然(ぶぜん)としながらも慌ててベッドから降りると、はだけたパジャマのボタンを締める。ティアラとは十二分に距離を確保した。

「……あ、勇者さま……」

 着衣を正した芽以子を見て、いささか残念といった様子でティアラは肩を落とす──むき出しの白い肩を。

「と、とにかくまずは服を着て! それから状況を説明して!」

 芽以子は顔を真っ赤にしながら、あさっての方向を見てそう告げる。温泉などでは見慣れているのだが、こういうシチュエーションではどうにも気恥ずかしい。

「そう……ですわね……勇者さまはまだ何も……ご存じでないでしょうし……そのあとゆっくりと……つづ……き……を……」

 最後のほうはよく聞き取れなかった。たぶん、聞き取りたくもなかったが。ティアラはポフンとベッドに落ちると、そのまま動かなくなる。

「……ちょ……? ちょっと……ティアラ……サン?」

 芽以子はじりじりとティアラに寄ると、指先を伸ばして金髪をつついてみる。ティアラはまったくの無反応だった。

 耳を澄ませば小さな寝息が聞こえる。どうやら、本当に疲れ切っているようで今度は完全に寝入ってしまったようだ。

「ちょっと……どうすればいいのよこの状況……」

 ティアラの顔をのぞき見ると、確かに目の下にクマができているし、唇も肌も乾ききっていた。何より、先ほどまでは桃色に染まっていた頬が、いまや完全に青ざめている。

 本当に、あまりいい状況ではないのかもしれない。そもそも、けっこうな量の鼻血を吹き出したようで手のひらサイズの血だまりができていた。いまはなんとか止まったようだが。

「とにかく……誰か人を探さないと……」

 なぜか日本語は通じるようだし、けっこうなご都合主義だと芽以子は思いながらも出入り口のほうへ足を向ける。

「言葉は通じるのに説明する人間が誰一人いないってどういうことよ」

 一人ぶちぶち文句をいう芽以子。大聖堂に反響して声がむなしくこだまする。

「フツー、こういうところに召還されたら王さまだか誰だかが、もったいぶって『世界の危機をお救いください!』とか宣うでしょ? それがなんでいきなりベッドインなのよ。品性を疑うわまったく!」

 文句をいっているうちに巨大な両開きの扉にたどり着く。芽以子の背丈の四倍はあろうかという巨大な扉だ。左右を見ても、通用口のような普通の扉は見当たらない。

 やむを得ず、芽以子はめいっぱい体重を乗せて扉を押した。ズズズ……と扉は鈍い音を立てて動いていく。

 ようやく、手のひらが入るかどうかという隙間ができたとき、突然の大声が芽以子の耳に飛び込んできた。

「殿下!」

「ヒヤァ!?」

 その大声に芽以子は尻餅をつく。わずかに空いた巨大扉の隙間から、四本の指がニュッと出てきた。

 と思うやいなや、巨大扉は瞬く間に開かれる。扉全体がわずかに発光している気がした。

 そうして飛び込んできたのは大声の主だろう。芽以子とばっちり目があった。

 こちらも女性だった。天然パーマは短く切り込まれ、輪郭は非常にシャープ。目つきも非常に鋭く、どうしてか敵意むき出しで睨まれている。

 パリッとした襟詰めの上着は、金縁のボタンがついていた。どうやら何かの制服のようだが、学生服と異なるのは、上半身が真っ赤でこの上なく目立っていること。ズボンはスエットのようにぴっちりとした黒色だった。体のラインがはっきり出る制服で、一見して彼女はスレンダーな体型であることが分かる。

 身長はかなり高いだろうか。芽以子より大きそうだ。一七〇センチはあるかもしれない。

「きさま、どこから侵入した!?」

「は……?」

 ティアラは自分のことを王女だといっていた。だとしたらここはお城に併設されている礼拝堂で、この女性は彼女の護衛か何かだろう。しかしであるとしたら、目の前の彼女の問いかけはおかしい。

 この場所で、ティアラが召還の儀式を行っていたことを、彼女は知っているはずだ。

「……え……えっと……って、ちょっと待ってよ!?」

 彼女は有無をいわず腰元から、細く短い何か抜くと、芽以子の喉元にその切っ先を突きつける。芽以子は全身滝汗になった。

 カッターナイフを突きつけられても硬直する現代っ子が、まさか、ゲームの中でしかお目にかかったことのない、いわゆる刀剣を突きつけられる羽目になる日が来ようとは夢にも思っていなかった。芽以子は恐怖のあまり二の句が継げなくなる。

「殿下は……殿下をどうした!?」

 芽以子は生唾を飲んで、ティアラが寝ているキングサイズベッドを指さした。彼女はすぐに視線をそちらに向けると──

「殿下!」

 ──芽以子などには目もくれずベッドに向かってダッシュする。

「殿下! ご無事ですか!? 殿下!?」

 彼女の焦燥に満ちた声音が礼拝堂いっぱいにこだまする。

「……いったい……なんだっていうの……?」

 芽以子はガクガク震える全身にむち打って、壁を支えにしながらなんとか立ち上がった。生まれて初めて凶器を突きつけられ、体が自分のものではないかのように震えていた。

 膝もガクガクと笑いっぱなしなので、まともに歩けそうにない。心臓ははち切れんばかりに脈動して、皮膚の裏がドクドクと脈打っていた。

 芽以子がなんとか立ち上がってからいっとき、礼拝堂は静寂に包まれた。

 それは、嵐の前の静けさに過ぎなかったわけだが。

「……え? それってどういうことよ……?」

 芽以子があさっての方向に問いかけるのと同時、祭壇ではちょっとした変化が起きていた。ティアラは依然寝入っているが、芽以子に刀剣を突きつけた女はどこかに電話をかけているようだ。

「──応急処置は施した! すぐに救護班を! いますぐだ!」

 その鋭い声がとぎれると、彼女の後ろ姿から、ほの暗い闇のオーラが立ち上っているかのように見える。いや実際に、黒い湯気としかいいようのないオーラがゆらゆらと立ち上っていた。とてもダークな感じで。

 芽以子がそんな超常現象に驚く前に、彼女は振り返った。

 はっきりいって、絶対に目を合わせたくない鬼の形相であったが、この場に意識のある人間は芽以子と彼女しかいないのだから目を合わせないわけにはいかない。

「きー、さー、まー……」

 野獣の唸りのようだった。芽以子は思わず「ひっ」と短い声をあげる。

「殿下に何をした!?」

 何をしたって……

 恐怖の余り声が出なかったので、心の中で痛切な叫びを上げる。

(わたしのほうがナニかをされそうになったのよ!)

 芽以子の祈りにも似た心の声は、もちろん、眼前の女性に聞こえるはずもない。

「ゆるさん!」

 彼女は再び、問答無用で短剣を抜き放つと、その切っ先を芽以子に向ける。刀剣のはずなのに、まるで拳銃で照準を定められたかのような恐怖が芽以子の全身を貫く。

「ま……待って! 待ってよ! 待ってくださいってば!?」

 芽以子は、震え上がる喉から無理やり声のようなものを絞り出した。その声が意味になっているかどうかは、当の芽以子ですら判断できなかったが。

「分かった! 分かったわ! あなた、そのティアラさんがそんな状況になってるんでお腹をたててらっしゃるんでしゅ──ッ」

 舌を噛んだ。

「つぅ……だ、だから、怒ってる理由は分かったわ! でもそれは誤解なの! 誤解なのよ!」

 激怒の女性は、ほの暗いオーラをまといながら、短剣の切っ先を芽以子に向けたままゆっくりとこちらに歩いてくる。何かをブツブツいいながら。

「だから誤解なんだってば! ちょっと聞いてる!? 彼女がマッパなのは、わたしが起きたときはすでにそうだったのよ! 顔色が悪いのもそうなの! その血だまりはただの鼻血よ!? もう止まってるわ! 命に別状はないんだってば! 信じてよ!」

 彼女は礼拝堂の中央で止まる。制止の声を聞き入れたわけでなない。すぐさま声高に叫んだ。

荒れ狂う炎塊(ローサ・ロウ)!」

 その叫びの直後、彼女の体を起点にして赤光の輪が生まれた。

 まるでレーザー光線で虚空に円を作ったかのようだ。

 それが瞬く間に短剣の切っ先に集約し、赤く大きな玉を形成したかと思うと──この時点で芽以子は無意識に横っ飛びに飛んだのであとはよく分からない。さっきまでいた場所からズドン!という大きな音、というよりも衝撃波を全身で浴びた。

 床を三回転して上体を起こしてみれば、巨大な扉の半分が溶解していた。いま直前までいた場所だ。

「じょ……じょうだんでしょ……」

 顔から血の気が引いていくのが鏡を見なくても分かる。

 あんな攻撃を食らったら、人間の体など骨も残さず蒸発するだろう。

 女を見る。

 刀剣の切っ先は、再び芽以子に定まっていた。

 芽以子は形振り構わず渾身の声を上げる。

「わたしはティアラに呼ばれたのよ!? ティアラはわたしのことを勇者と呼んだのよ!」

「勇者さまが女であるわけないだろう!」

 いい終わるまえに第二波が来た。これもすんでのところでなんとか避ける。あまりの事態に、芽以子の唇はカラカラに干上がった。

 爆撃音に顔をしかめながら芽以子はやけくそ気味に叫ぶ。

「なんでこの世界の人間は人の話を聞かないのよ!?」

 その心の叫びにも、彼女はまったく応じない。

「ちょこまかと!」

 彼女は、短剣をしまうと胸の前で両手を組んだ。その直後、彼女を機転にして再び光輪が放たれる。しかし今度はひとつの輪ではなく、幾層もの光輪が彼女の周囲でクルクルと回っていた。

 彼女は、赤光の球体に包まれたかのようになる。

 球体を形成する光輪の隙間から見える彼女の顔が、赤い光で不気味に浮かび上がっていた。その中心で彼女は何かをつぶやいている──つまりは呪文。

 デカイのがくる。芽以子の直感が生命の危機をけたたましく知らせていた。

「ティアラ! 目を覚ましてティアラ!」

 この爆撃音の中で寝ているのもどうかしているが、ティアラは目を覚ます気配がない。

 どうにかしてあの女に、自分が勇者であることを証明しなくてはならない。彼女は、芽以子のことを、この礼拝堂に忍び込んだ賊で、しかもティアラにイタズラなんてしでかした極悪人だと思い込んでる。だとしてもいきなり私刑など常軌を逸しているが、その常識も法治国家ニッポンでの常識だ。

 この世界の常識など芽以子は知らない。

「……なんとか……なんとかしないと……」

 ティアラが自分をここに呼び寄せたのは訳があるはずだ。その理由とは何か?

 そう、そんなことは明白だ。魔王なるものを打ち倒すために芽以子は呼ばれたのだ。

 ここで芽以子が死んでしまえば、魔王を倒す術はなくなる。

 女を囲む赤光の球体がその輝きをひときわ激しく輝いた。芽以子はその光に負けないように叫ぶ。

「わたしをここで倒したら、魔王は倒せないわよ!」

 その嘆願は彼女に届くのか──ほとんど自暴自棄に近い叫びだった。

「わたしは魔王と戦った! ついさっき、戦ったわ! あんな怪物、人間が倒せるわけがない! 勇者でなくては倒せないわよ!?」

 だがいまの言葉は──届いた。なぜか、初めて。

 その証拠に、いよいよとなったまばゆい光球の輝きが、いくぶん和らいだ。

 芽以子はその一縷の望みにかけて、勢い任せに絶叫する。

「戦ってきたのよいまさっき魔王と! それがわたしが勇者である何よりの証でしょう!? わたしはティアラに呼ばれてこの場所に来た! それなのにここで倒されるってどういうことよ! 土下座して詫びなさいよ!? だいたい──」

 その後の芽以子の台詞は、意味不明な罵詈雑言(ばりぞうごん)になっていた。

 芽以子のその台詞には、魔王と戦ったという証拠は何一つなかったが──女は呪文の詠唱をやめる。

 赤い光がパァっとはじけて霧散した。それを見て、芽以子はすとんと尻餅をつく。脱力のあまり、腰が抜けていた。

 再び静寂が戻った礼拝堂に、女の声がこだまする。

「魔王が戦闘を行ったことを、なぜ貴様が知っている?」

「だ……だから……」

 気力の限界だった。芽以子の視界は白くかすみ始めた。

「わたしが……その相手だったからよ……」 

 その台詞を最後に、芽以子はばったりと倒れる。そして気を失った。

 

 

 翌朝──目が覚めたとき、芽以子は牢屋の中だった。

 ごく平凡な人生を歩んできて、ごくごく普通の女子高生であるはずだったのに牢屋に入れられる日が来ようなどとは想像だにしなかったが、投獄されてから三日後に釈放される。

 三日三晩寝入ってたティアラがようやく目を覚まして、すべての弁明をしてくれたという。寝入っていたというよりも、かなり危険な状態にあったようだ。召還の儀式とやらで気力体力を振り絞っていたらしい。

 だというのに芽以子を襲おうとしたのだから、彼女の神経もそうとう図太いというかどうかしているが。

 本来であれば、勇者さまとして異世界に召還された芽以子は、歓迎されて晩餐会の一つでも開催されるべき国賓であるのに、三日三晩、湿った寝床に冷たいメシを与えられる羽目となったのだった。

「って、ぜんぶお前が考えたシナリオでしょうが!」